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048

アルノー & ランスロ『一般理性文法』(1660) を読む——言語のかたちは心のかたちを写す、という賭け

パリ郊外の修道院ポール・ロワイヤルで、神学者アルノーと文法教師ランスロが書いた小さな本。個別言語の慣用を並べるのではなく、あらゆる言語の背後にある「一つの理性的な文法」を、心の働きから導こうとした。品詞も、動詞の本質も、隠れた文も——すべては「概念する・判断する」という心の作用の写しである。フランス語原文とやさしい図で、その全体像を。

047

明日、海戦は起こるか——未来の偶然と決定論

「明日、海戦が起こる」という文は、いますでに真か偽か。もしそうなら、明日のことはすべて必然で起こり、思案も準備も無意味になる。『命題論』第9章、論理学史でもっとも議論された一章。アリストテレスの答えは——選言の全体は必然、どちらの項もまだ未定。

046

肯定と否定、全称と特称——「対立の四角形」の起源

「すべての人間は白い」と「どの人間も白くない」は、同時には真になれないが、同時に偽にはなれる。「すべての人間は白い」と「白くない人間がいる」は、必ず一方が真で一方が偽。アリストテレスが第7章で整理したこの関係が、中世論理学の「対立の四角形」になった——そして現代論理学ではその一部が崩れる。

045

真偽が宿るのは「主張文」だけ——祈りは論理学の外

「雨が降っている」は真か偽になる。「雨が降りますように」はどちらでもない。アリストテレスは、文のうち真偽をもつもの——主張文(アポファンティコス)——だけを論理学の対象とし、祈り・命令・問いを修辞学と詩学へ送り出す。「命題」という単位が、ここで生まれる。

044

名詞と動詞——動詞は「時」をいっしょに示す

「健康」は名詞、「健康である」は動詞。違いは何か。アリストテレスによれば、動詞は意味に加えて「いま在ること」——時——をいっしょに示し、つねに「何かについて言われるもの」の記号である。文を組み立てる二つの部品と、両者を結ぶ「=である」の謎を、原文から。

043

「取り決めによる」——アリストテレスがクラテュロスに与えた答え

名詞の定義に、アリストテレスは一語を差し込む——「取り決めによって」。自然によって在る名前は一つもない。けものの鳴き声は自然に何かを表わすが、名前ではない。プラトンが保留した二択に、弟子はノモスの側で決着をつけた。それが2000年の主流になる。

042

アリストテレス『命題論』を読む——ことばは「取り決めによる記号」、真偽が宿るのは文だけ

プラトンが未決のまま残した「名前は自然か取り決めか」に、弟子アリストテレスは短く答えを出す——ことばは取り決めによる記号だ。そして真偽は語ではなく、語を組み合わせた「主張文」にだけ宿る。『オルガノン』第2書、14章の緻密なエッセイを、ギリシア語原文とやさしい図で。

041

名前からは真理を学べない——『クラテュロス』の結末とイデア論

音のまねだけでは名前は成り立たない、と認めたソクラテスは、取り決めを議論に戻す。そして自然説の核心を突く——最初の名づけ手には、手本にする名前がまだ無かった。ならば知は名前の手前にある。対話は、変わらぬ「美そのもの」へと踏み出して閉じる。

040

名前は「声によるまね」——ρ は運動、λ はなめらかさ

それ以上分解できない「一次の名」は、どうやって対象を表すのか。ソクラテスの答えは、声によるまね(ミメーシス)。ρ は舌がふるえるから運動を、λ は舌がすべるからなめらかさを表す——西洋で最初の音象徴論であり、2300年後にソシュールが名指しで否定する相手でもある。

039

語源の奔流——名前は理論を宿す(そしてそれは冗談か)

対話の半分以上を占める中央部で、ソクラテスは神・徳・自然物の名を140ほど語源分解してみせる。そのほとんどが「流れ」「運動」を含む。最初の名づけ手たちは、万物流転というヘラクレイトス的な世界観を名前に埋め込んだ——冗談とも本気ともつかぬ、この長い実演をどう読むか。

038

名前は「道具」である——梭(ひ)と、名前をつくる立法者

織機の梭が糸を分けるように、名前はものの在りかたを分けて教える道具だ。ではその道具を作るのは誰か——「職人のなかで最も稀な」立法者。そして、できた名前を使い、良し悪しを判定するのは弁証家である。

037

フュシスかノモスか——名前の「正しさ」をめぐる二つの立場

ヘルモゲネスは言う——どう呼ぼうと、そう呼べば正しい。ソクラテスはこれを崩す。ものには勝手に決められない在りかたがあり、「名づける」もまた正しさのある行為だ、と。ただしそれは、クラテュロスの自然説をそのまま認めることではない。5世紀の「自然か掟か」論争を、言語に当てはめた対話。

036

プラトン『クラテュロス』を読む——名前は「自然」か「取り決め」か、西洋で最初の言語哲学

ものの名は、自然にそう決まっているのか(フュシス)。それともただの取り決めか(ノモス)。紀元前4世紀、プラトンはこの問いだけで一篇の対話篇を書いた。西洋で最初の、まとまった言語哲学。ソクラテスと二人の論客のやりとりを、ギリシア語原文とやさしい図で。

035

言語類型と「序列」の問題——フンボルトからサピアへ

孤立語・膠着語・屈折語・抱合語。言語を構造で分けるこの見取り図はフンボルトに始まる。だが彼は屈折語を頂点に置いた。その序列を、20世紀のサピアがどう解体したか。

034

思考を形づくる器官、対話に宿ることば

語は対象の写しではなく、対象が心に産んだ「像」の写しである。そして言語は、一人では成り立たない——「私」は「君」を含んでいる。フンボルトの、言語と思考、言語と他者の話。

033

有限の手段の無限の使用——生成文法の源流

限られた音・語・規則から、話し手は一度も言われたことのない文を無限に作る。1966年、チョムスキーはフンボルトのこの一句を掲げて「言語の創造的側面」を語った。何が受け継がれ、何が落とされたか。

032

世界観——言語は民族のまわりに円を描く

「どの言語も、それが属する民族のまわりに一つの円を描く」。だがフンボルトは、その円は牢獄ではない、外国語を学ぶとは新しい立脚点を得ることだ、とも書いた。言語相対論の源流を、原文から。

031

内的言語形式——言語の「かたち」は音でも規則でもない

サンスクリットで象は「二度飲む者」「二本の牙のもの」「手を持つもの」。同じ対象なのに、別々の概念だ。言語は対象そのものではなく、対象の捉え方を表す——フンボルトの「形式」を、原文から。

030

エネルゲイア——言語は「物」ではなく「働き」である

辞書に載っているのは言語ではない。フンボルトによれば、言語の本体は「精神の、永遠に繰り返される労働」——話すという行為そのものだ。『多様性』のいちばん有名な一節を、ドイツ語原文から。

029

フンボルト『言語構造の多様性について』(1836) を読む——言語は「作品」ではなく「活動」である

ソシュールより80年、サピアより85年早く、一般言語学はここから始まった。ヴィルヘルム・フォン・フンボルトが死の直前まで書き、遺著として出た大著。エネルゲイア、内的言語形式、世界観、「有限の手段の無限の使用」——本の骨格を、ドイツ語原文とやさしい図で。

028

規則に従うこと、そして私的言語

「+2」で数列を続ける。どんな続け方も、解釈しだいで規則に「合致」させられる。では規則を支えているのは何か。『哲学探究』後半の難所を、ドイツ語原文から。

027

家族的類似——「考えるな、見よ」

「ゲーム」に共通する本質は何か。ウィトゲンシュタインは答えず、命じる——見よ、と。すべてを貫く一本の糸はなく、重なり合う繊維があるだけだ。カテゴリー観を変えた『探究』§65〜71。

026

言語ゲームと「意味とは使用である」

「石板!」は名前なのか、命令なのか。建築現場のことばから始めて、ウィトゲンシュタインは「語は物の名だ」という素朴な像を崩す。『哲学探究』前半を、ドイツ語原文から。

025

「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」——言語の限界

20世紀哲学でもっとも引かれる一文、『論考』命題7。だがそれは神秘趣味ではなく、像の理論から出てくる結論だ。何が語れ、何が「示される」だけなのか。

024

像の理論——「命題は現実の像である」

パリの法廷で、交通事故を人形とおもちゃの車で再現する。ウィトゲンシュタインはそこに命題の秘密を見た。模型が事故を語れるのはなぜか。『論理哲学論考』の前半を、ドイツ語原文から。

023

ウィトゲンシュタインと言語——「像」から「言語ゲーム」へ

生涯に一冊しか本を出さなかった哲学者が、その一冊を自分で壊した。前期『論理哲学論考』の「像の理論」と、後期『哲学探究』の「意味とは使用である」。言語をめぐる二つの思想を、ドイツ語原文とやさしい図で。

022

価値と差異——「言語には差異しかない」

フランス語の mouton は英語の sheep と同じ意味を持ちうるが、同じ価値は持たない。英語には mutton があるからだ。ソシュール『講義』でいちばん過激な一章を、原文から。

021

共時態と通時態——言語を「今」で見るか、「流れ」で見るか

チェスの一局面は、そこに至った経緯から自由だ。ソシュールは言語を二つの軸に分けた。同じ「分裂」に対するもう一つの答え、サピアの「ドリフト」と並べて読む。

020

記号の恣意性——なぜ「木」は tree でも Baum でもよいのか

「妹」という観念と s—ö—r という音のあいだに、内的なつながりは何もない。ソシュール『一般言語学講義』の第一原理を、原文(1916年フランス語)を引きながら。

019

言語と文学——翻訳できるもの、できないもの(サピア第11章)

「ハイネを読むと、宇宙がドイツ語を話しているような錯覚に陥る」。文学は言語という素材でできている。翻訳できる層とできない層、そして韻律が言語の力学から生まれること——サピア『言語』の最終章。

018

音のパターンから音素へ——サピア第3章と、その後の音韻論

英語話者の百人に一人も、sting の t と teem の t が別の音だと気づかない。客観的な音の背後に「心のなかの音の体系」がある——サピアの洞察が、どうやって「音素」になったか。

017

言語・人種・文化は別物——サピアの分離論

「民族の天才が言語を作る」は迷信である。人種・言語・文化は互いに独立した変数だ——師ボアズの人類学を言語の側から徹底した、『言語』第9〜10章。

016

サピアの「ドリフト」——言語は時間の流れを下り、自分の勾配を持つ

「whom」はあと二世紀で消える、とサピアは予言した。個人のゆらぎではなく、方向を持って積み重なる無意識の選択——それがドリフト。『言語』第7〜8章を一点集中で読む。

015

サピア『言語』をやさしく読む(後半):かたち、意味、そして言語に優劣はない

語はどんな方法で組み立てられるのか。「農夫がアヒルの子を殺す」の一文に何種類の意味がひそむのか。そして、言語を「孤立語→屈折語」と並べる梯子はなぜ捨てるべきなのか——サピアの第4〜6章。

014

サピア『言語』をやさしく読む(前半):ことばは本能か、音とは何か

歩くことと話すことはどう違うのか。叫び声はことばになるのか。富士山とサント・ヴィクトワール山を並べて、サピアの第1〜3章——言語の定義、発音器官という誤解、音の背後にあるパターン——をたどる。

013

エドワード・サピア『言語』(1921) を読む——ことばは本能でも人種でもない

ソシュールの『講義』から5年、人類学者サピアが書いた一般言語学の入門書。言語は本能ではなく文化、その本質は音ではなくパターン、そして言語は自分でドリフトする——本の要点を、原文の引用とやさしい図で。

012

川端康成『雪国』の冒頭で学ぶ、日本語の基礎

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」——主語のない一文から始まる四段落を、主語の省略・は/が・主要部後置・「〜ていた」・視点の移動という日本語の基礎に照らしてほどく。

011

森鷗外『阿部一族』の第一文で学ぶ、日本語の長い文

百五十字を超える一文なのに、骨格は「細川忠利は——飛脚が立つ」。助詞、連体修飾、接続表現、述語の連鎖を手がかりに、鷗外の長い文をほどく。

010

森鴎外「言語の起原」附記を読む——ことばの起源をめぐる十九世紀の論争

泣き声はことばになるか。鴎外が1889年に日本語へ移した、間投説(プープー)・擬声説(バウワウ)・ママ説。ヘルダー、グリム、マックス・ミュラーの議論を、原文を引きながらほどく。

009

夏目漱石『こころ』の第一文で学ぶ、日本語の文章

「私はその人を常に先生と呼んでいた。」——二十三モーラ、一文一述語。名を伏せる技法、述語直前の焦点、「〜ていた」の三重の働き、である体。文豪から学ぶ日本語の文章、第二回。

008

langage・langue・parole——ソシュールが「ことば」を三つに分けた理由

『一般言語学講義』でいちばん有名な区別を、原典からの引用とやさしい例で。ことばの回路、「1+1+…=1」、交響曲のたとえ。

007

三島『潮騒』の三文で学ぶ、日本語の基礎文法

同じ三文を、今度は「日本語の文はどう組み立てられているか」を一から。述語は最後、助詞は語のうしろに貼る札、説明は名詞の前——英語と比べながら。

006

三島由紀夫『潮騒』の冒頭で読む、日本語の叙述

人物ではなく土地から始まる三行を解剖すると、主要部後置、は/が の交替、名詞述語文——日本語の叙述の骨組みがそのまま見えてくる。

005

『一般言語学講義』をやさしく読む(後半):体系はどう働き、どう変わるか

ことばの意味は「まわりとの差」で決まる。共時態と通時態、価値=差異、統合的関係と連合的関係、そして音変化・類推・波を、身近な例で。

004

『一般言語学講義』をやさしく読む(前半):言語とは何か、記号とは何か

「ことば=物の名札」ではない。ソシュールが引いた langue / parole の線と、記号=概念+音という考え方を、身近な例でゆっくり。

003

ソシュール『一般言語学講義』の概要

langue と parole、記号の恣意性、共時態と通時態、差異による価値——20世紀の言語観を変えた講義録の全体像。

002

ソシュールと、言語学の誕生

『一般言語学講義』の背景と、その冒頭で語られる「言語学史概観」を読む。

001

言葉とは?

言語は私たちの内側にありながら、他者からやってくる。自己と他者を結ぶ、その不可思議なネットワークを考える。