第9章は、たった一つの前提から決定論を導いてみせる。前提は——すべての肯定と否定は、真か偽のいずれかである(排中律+二値性)。

いま「明日、海戦が起こる」と言う人と、「起こらない」と言う人がいる。二人の文は矛盾のペアだから、必ず一方が真だ。ならば、その真はいますでに成り立っている。ずっと前から真だったのなら、そのことは起こらざるをえない。こうして「明日」のすべての出来事が必然になり、「何ものも偶然からは生じず、すべては必然による(ἐξ ἀνάγκης ἅπαντα)」という結論に行き着く。(ギリシア語引用の日本語訳・英訳は L/LAB による。以下同じ。)

アリストテレスはこの結論を「奇妙だ(ἄτοπον)」として退ける。もしそうなら、思案しても準備しても無駄だということになる。だが私たちは、いま何をするかが未来の分かれ目になるのを現に経験している。行動には「始まり(ἀρχή)」としての力がある——熟慮すること、何かをなすことから、これから在るものが分かれていく。だから前提のどこかが間違っている。

アリストテレスの切り分け

すべての文は今すでに 真 か 偽(二値性) = 「海戦が起こる」か「起こらない」の一方が今すでに真 = もう他ではありえない → 必然 → 思案は無意味 アリストテレスの切り分け 選言の全体 「起こる∨起こらない」=必然 各項は今は未定 (真とも偽とも定まらない) 上着の例:この上着は「切り裂かれうる」が、切り裂かれずに先にすり切れるだろう——両方向の可能性は実在する。
決定論の連鎖と、アリストテレスの断ち方。全体の選言は必然でも、どちらの項も「いま真」ではない。図:L/LAB

反例は身近なものだ。

τουτὶ τὸ ἱμάτιον δυνατόν ἐστι διατμηθῆναι καὶ οὐ διατμηθήσεται, ἀλλ᾿ ἔμπροσθεν κατατριβήσεται.

この上着は切り裂かれることが可能だが、切り裂かれはせず、その前にすり切れるだろう。

「切り裂かれうる」と「切り裂かれずにおわりうる」——両方が実在の可能性だ。未来には、こうした「どちらに転ぶともわからぬ(ὁπότερ᾿ ἔτυχεν)」ことがある。そこでアリストテレスはこう結ぶ。

ἀνάγκη μὲν ἔσεσθαι ναυμαχίαν αὔριον ἢ μὴ ἔσεσθαι, οὐ μέντοι ἔσεσθαί γε αὔριον ναυμαχίαν ἀναγκαῖον οὐδὲ μὴ γενέσθαι.

明日、海戦が起こるか起こらないかは必然だ。しかし、明日海戦が起こることが必然なのでも、起こらないことが必然なのでもない。

「A ∨ ¬A」という選言の全体は必然。だがそのどちらの項も、いま真だとは定まっていない。これがアリストテレスの解決である。

二つの読みと、その後

この一章の解釈は、古代から割れている。

どちらにせよ、影響は巨大だ。ストア派のディオドロス・クロノスは逆に決定論を選び(「支配的論法」)、中世は神の予知と未来の偶然の両立に頭を悩ませた。そして1920年、ウカシェヴィチはまさにこの章を動機として、三値論理(真・偽・不定)を構築する。「明日」という一語が、二千年以上、論理学を動かし続けている。