記号の恣意性で見たとおり、記号は不変であると同時に可変だ。ソシュールはこの二面を、二つのに切り分ける。第1部 第3章。

1. 二つの軸

A B 同時性の軸(AB)= 共存する項の関係。時間の介入なし C D 継起性の軸(CD)= 一度に一つしか見られない。 横軸のすべてが、その変化とともに ここに置かれている
ソシュールの図。横軸=共時態(ある「状態」の内部関係)、縦軸=通時態(時間のなかの置き換え)。図:L/LAB(『講義』の図を簡略化)

どんな学問も、扱う対象がどの軸の上にあるかを区別すべきだ、とソシュールは言う。同時性の軸(l’axe des simultanéités は「共存する物どうしの関係にかかわり、時間の介入をいっさい排する」。継起性の軸(l’axe des successivités は「一度に一つの物しか考えられないが、第一の軸のすべての物が、その変化とともに、ここに置かれている」(第1部 第3章。フランス語引用の日本語は L/LAB 訳。以下同じ)。

2. 話す主体に、歴史は見えない

「話す主体にとって、時間のなかの継起は存在しない。彼は一つの状態を前にしている(il est devant un état)」。だから、その状態を理解しようとする言語学者は「それを生んだすべてを白紙に戻し(faire table rase)、通時態を無視しなければならない」(第1部 第3章)。ソシュールはたとえる——アルプスのパノラマは一つの地点から描くもので、ジュラ山脈のいくつもの頂から同時に描くことはできない。言語も、ある一つの状態に身を置いてしか記述できない。

3. チェスのたとえ

・局面は、そこに至った手順から自由 ・途中から見た人と、全部見た人に差はない。 ・一手(一つの駒の移動)が、体系全体に響く。 ・駒の価値は、盤上の位置で決まる。 唯一の不一致:チェスの指し手は意図して動かす。 「言語は何も premeditate しない(ne prémédite rien)」。
ソシュールが最も有効とする比喩。言語の共時態はチェスの一局面のように、経緯から独立して読める。図:L/LAB

ソシュールは、最も有効な比喩は「言語という営みとチェスの一局(le jeu de la langue et une partie d’échecs)」の比較だという(第1部 第3章)。

n’importe quelle position donnée a pour caractère singulier d’être affranchie de ses antécédents ; il est totalement indifférent qu’on y soit arrivé par une voie ou par une autre … celui qui a suivi toute la partie n’a pas le plus léger avantage sur le curieux qui vient inspecter l’état du jeu au moment critique.

どんな局面も、その先行手順から解放されているという際立った性質を持つ。そこにどんな道で至ったかは、まったく問題にならない。……全局を追ってきた者は、決定的瞬間に盤を覗きに来た野次馬に対して、わずかな優位も持たない。(第1部 第3章)

唯一、比喩が破れる点がある。

le joueur d’échecs a l’intention d’opérer le déplacement … tandis que la langue ne prémédite rien ; c’est spontanément et fortuitement que ses pièces à elle se déplacent.

チェスの指し手は移動を意図する……のに対し、言語は何も予謀しない。言語の駒は、自発的に、偶然に動く。(第1部 第3章)

4. 二つの言語学

共時言語学は「同じ集団意識に捉えられている、共存し体系をなす項どうしの、論理的・心理的関係」を扱う。通時言語学は、時間のなかで互いに置き換わっていく項を扱う——それらは体系をなさない。ソシュールいわく、両者の対立は「あらゆる点で炸裂する」。

5. サピアの「ドリフト」との対比

同じ出発点:言語は「今の体系」と「時間の変化」の二面を持つ ソシュール(1916) 通時態を「白紙に戻して」、共時の 体系を切り出す。変化は体系の外。 → 記号は差異、価値は関係([022](/ja/articles/saussure-value-and-difference)) サピア(1921) 通時態そのものを「ドリフト」として 理論化。変化には方向がある。 → 「whom」の予言([016](/ja/articles/sapir-drift))
同じ「共時/通時」の分裂に、二人は別々の応答をした。ソシュールは共時を守り、サピアは通時に形を見た。図:L/LAB

ソシュールとサピアは、同じ問題——言語は「今の体系」であると同時に「時間のなかの変化」だ——に、逆向きに答えた。

二人が一致する点もある。変化はパロール(個人の発話) で始まる、と両者とも言う。そして「言語は何も予謀しない(ソシュール)」=「無意識的な選択(サピア)」——変化に設計者はいない、という点も同じだ。ソシュールは変化を脇に置いて体系の論理を、サピアは変化の方向そのものを、それぞれ精密にした。

6. 汎時的な視点はあるか

「時間を超えた、汎時的(panchronique)な視点はないのか」。ソシュールの答えは、ほぼ無い、というものだ。汎時的に語れるのは「意味を持たない生の音素材」くらいで、体系のなかで価値を持つものは何一つ、時間の外からは語れない。


次は、その「価値」——「言語には差異しかない」サピアの音素論と交わる。