やさしく読む・前半の最後で、サピアの「音のパターン」に少しだけ触れた。ここを一点集中で見る——第3章と、その後の音韻論への道。

1. 客観的な音と、心のなかの音

話者の感じ:どれも同じ「t」「s」 teem の t sting の t heads の s 実際の音: teem = 強い息を伴う t(有気)/ sting = 息が抑えられた t(無気) heads の s は、じつは有声の [z]。meat の ea は mead の ea より短い。
話者は「同じ音」と感じているが、客観的にはいくつもの別の音が使い分けられている。図:L/LAB

英語話者は、自分の言語が「はっきりした少数の音」でできていると感じている。だが精密に分析すると、実際に使い分けられている音はずっと多い。「英語話者の百人に一人も、sting の t が teem の t とまったく同じ音ではないことに、まるで気づいていない」——前者は先行する s に息の解放を抑えられている。同じように heads の末尾の s は有声の [z]、meateameadea より短い。

ところが話者は、これらを一つの音として扱う。ここにサピアの核心がある。

Back of the purely objective system of sounds … there is a more restricted “inner” or “ideal” system … a finished pattern, a psychological mechanism.

純粋に客観的な音の体系の背後に、より限定された「内的」ないし「理念的」な体系がある。……仕上がったパターン、心理的な機構である。(第3章。引用は原文、日本語は L/LAB 訳。以下同じ)

2. パターンは、音よりゆっくり変わる

昔の言語 A ← 音の中身は世代ごとに入れ替わる → 今の言語 A′(子孫) 共通の音は一つもない。だが—— 点の数・関係・働き(パターン)は同じでありうる。 パターンの変化速度は、音そのものの変化より「無限に遅い」。
音の中身は総入れ替えされても、パターンの骨格は残りうる。だから系統の近い二言語が、共通の音を一つも持たずに同じパターンを共有できる。図:L/LAB

理念的な音のパターンは、「その音的な中身が変わったあとも、パターンとして——数・関係・要素の働きを含んで——persist しうる」。

Two historically related languages or dialects may not have a sound in common, but their ideal sound-systems may be identical patterns.

歴史的に関係する二つの言語や方言が、共通の音を一つも持たなくても、その理念的な音体系は同一のパターンでありうる。(第3章)

パターンの変化速度は「音そのものの変化より無限に遅い」。だから言語は、文法構造と同じくらい、この理念的な音の体系によって特徴づけられる

3. 書き取れるのは「パターンの点」だけ

サピアは、先住民に自分の言語を書かせる実験をした。結果はいつも同じだった。

実際の話し声(連続的なざわめき) 心のなかのパターン(点の格子) 書き取り=「理念的な音の流れ」の書き写し
話者は実際のざわめきを、心のなかのパターンを通してしか聞かない。書き取りは「理念的な音の流れ」の書き写しになる。図:L/LAB

サピアの通訳は、まるで「実際の話し声のざわめきの意図として、理念的な音の流れを聞き取り、それを書き写している」ようだった、という。

4. これが「音素(phoneme)」になった

サピアが「理念的な音の体系」と呼んだものは、その後の言語学で音素という単位に結実する。

ボードゥアン・ド・クルトネ「心のなかの音」=phoneme の着想(1870s〜) サピア(米) プラーグ学派 トルベツコイ/ヤコブソン 音韻論phonology(≠ phonetics) 音素 = それ自体の中身ではなく、体系のなかの対立で決まる。 例:英語の /p/ は「有声か無声か・唇か歯茎か・鼻音かどうか」の対立で位置づく。
「心のなかの音」の着想はボードゥアン・ド・クルトネに遡り、サピアとプラーグ学派(トルベツコイ、ヤコブソン)を経て、音を対立の体系として扱う「音韻論」になった。図:L/LAB

sting の t と teem の t は、英語では同じ点に落ちる(意味を区別しない=異音)。だが有気/無気が意味を区別する言語(ヒンディー語、タイ語など)では、別の点になる。「音」は物理的事実だが、「どの音とどの音が同じか」は言語ごとのパターンが決める。

5. ソシュールと同じ直観

音素が「それ自体の内容ではなく対立で決まる」というのは、記号の価値は差異で決まるというソシュールの考えと、そのまま重なる。ソシュール(1916)とサピア(1921)は独立に、「言語の単位は実体ではなく、体系のなかの位置である」という同じ直観にたどり着いていた。プラーグ学派は、その直観を音の領域で最も精密に形にした学派である。

まとめ

客観的な音は、話者が思うよりずっと多いsting の t ≠ teem の t、heads の s は [z]
その背後に「理念的な音のパターン」がある無意識だが、音そのものより意識に上りやすい
パターンは音よりはるかにゆっくり変わる系統の近い二言語が、共通の音ゼロで同じパターンを共有しうる
話者はパターンの点を通してしか音を聞かない書き取り=「理念的な音の流れ」の書き写し
この考えが「音素」になった音声学(音そのもの)と音韻論(対立の体系)の分離。音素=格子の一点

サピア特集の最後は、言語と文学(第11章)——翻訳できるもの・できないもの、そして韻律は言語の力学から生まれる。全体像は「サピア『言語』を読む」へ。