概要で骨格を見た「エネルゲイア」のテーゼを、原文で追う。問いはこうだ——言語とは、指させる「物」なのか、それとも起こり続ける「出来事」なのか。
1. 「作品(エルゴン)」と「活動(エネルゲイア)」
Die Sprache, in ihrem wirklichen Wesen aufgefasst, ist etwas beständig und in jedem Augenblicke Vorübergehendes. … Sie selbst ist kein Werk (Ergon), sondern eine Thätigkeit (Energeia). (Language, grasped in its true essence, is something continual and, at every moment, transient. … It is itself no product (ergon) but an activity (energeia). ドイツ語引用の日本語訳・英訳は L/LAB による。以下同じ。)
言語は、その本当の本質において捉えれば、絶えず続くと同時に、どの瞬間にも過ぎ去っていくものである。……言語それ自体は作品(エルゴン)ではなく、活動(エネルゲイア)である。
「エルゴン」と「エネルゲイア」は、アリストテレスができ上がった成果と現に働いている状態を区別するのに使った対だ。フンボルトはこれを言語に当てる。私たちが「英語」「日本語」と呼んで指させるように思っているもの——語彙と規則の集まり——は、じつは言語ではない。言語は、いままさに話され、聞かれている、その遂行のなかにしかない。
2. 「精神の、永遠に繰り返される労働」
では、その「活動」とは具体的に何をする活動なのか。フンボルトの答えは精密だ。
Sie ist nemlich die sich ewig wiederholende Arbeit des Geistes, den articulirten Laut zum Ausdruck des Gedanken fähig zu machen. (It is, namely, the ever-repeated labour of the mind to make the articulated sound capable of expressing thought.)
言語とはすなわち、分節音を思考の表現へと使えるものにする、精神の、永遠に繰り返される労働である。
言語は「音」ではない。「思考」でもない。音を思考の器にする、その仕事だ。そしてその仕事は、一度なされて終わりではない。話すたびに、聞くたびに、あらたに遂行される。だから言語は「絶えず続くと同時に、どの瞬間にも過ぎ去っていく」。
3. だから、言語の定義は「発生的」でなければならない
活動であるものを、物のように定義することはできない。
Ihre wahre Definition kann daher nur eine genetische seyn. (Its true definition can therefore only be a genetic one.)
それゆえ言語の真の定義は、発生的なものでしかありえない。
発生的な定義(genetische Definition) とは、「それが何からできているか」ではなく「それがどう産み出されるか」で対象を捉える定義だ。三角形を「三本の線分」と部品で言うのではなく、「一点のまわりに線を回して閉じる」という手続きで言う——それに近い。言語も、語と規則のリストではなく、話し手が思考を音へと変換していく手続きとして捉えるべきだ、とフンボルトは言う。対象を部分に切り分ける(zergliedern) と、生きた働きは死ぬ。
4. 辞書と文法は「死んだ堆積物」
もちろんフンボルトは、辞書や文法が無用だとは言わない。学者はそれなしに言語を扱えない。だが、それらは話す行為の沈殿物であって、行為そのものではない。「言語のなかで死んだものと見なさざるをえない部分」を、生きた言語と取り違えてはならない——これがフンボルトの警告だ。文法書は言語の痕跡であり、地図が土地でないのと同じで、地図ではない。
5. ソシュールとチョムスキーへ
- ソシュールは、この「働き」を二つに割る。社会的な体系=ラングと、個々の発話行為=パロール(langage・langue・parole)。フンボルトのエネルゲイアは、「ラングを使ってパロールを産み出す力」として、両者にまたがっている。
- チョムスキーは1965年『統辞理論の諸相』で言語能力(competence) を「有限の規則から無限の文を生成する話し手の内的な体系」と定義し、翌年『デカルト派言語学』でこれを明確にフンボルトの後継と位置づけた。「言語は完成品の集まりではなく、生成の手続きだ」という発生的定義の直系である。次記事、「有限の手段の無限の使用」へ。
- 20世紀後半、言語学者エウジェニオ・コセリウは、フンボルトの対をさらに三つに彫り直した——エネルゲイア(話す活動)/デュナミス(話す能力=知識)/エルゴン(産み出された言語)。
まとめ
| フンボルトの主張 | 言い換え |
|---|---|
| 言語は作品(エルゴン)ではなく活動(エネルゲイア) | 指させる物ではなく、遂行され続ける出来事 |
| 言語とは「精神の、永遠に繰り返される労働」 | 分節音を思考の器にする作業。話すたびに繰り返される |
| だから定義は発生的でなければならない | 部品の一覧ではなく、産み出しの手続きで捉える |
| 辞書・文法は「死んだ堆積物」 | 研究の足場ではあるが、言語そのものではない |
| → ソシュールのラング/パロール、チョムスキーの言語能力 | 「物でなく働き」が20世紀の根本区別の下敷き |
なぜ今も読まれるか
- 静的な言語観への解毒剤——言語を「規則と語のデータベース」と見る発想は根強い。フンボルトの「エネルゲイア」は、言語がまず行為であることを思い出させる。
- 生成文法の起源——チョムスキーの「言語能力=生成の手続き」は、フンボルトの「発生的定義」の20世紀版として読める。
- 語用論・使用基盤言語学へ——「言語は遂行のなかにしかない」という直観は、ウィトゲンシュタインの「意味は使用」や、実際の発話データから文法を立てる現代の潮流とも響き合う。