特集
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
生涯に一冊しか本を出さず、その一冊を自分で壊した哲学者。前期『論理哲学論考』(1921)の「像の理論」から、後期『哲学探究』(1953)の「意味とは使用である」まで、ドイツ語原典を読む。
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← ホームへ ウィトゲンシュタインと言語——「像」から「言語ゲーム」へ
生涯に一冊しか本を出さなかった哲学者が、その一冊を自分で壊した。前期『論理哲学論考』の「像の理論」と、後期『哲学探究』の「意味とは使用である」。言語をめぐる二つの思想を、ドイツ語原文とやさしい図で。
像の理論——「命題は現実の像である」
パリの法廷で、交通事故を人形とおもちゃの車で再現する。ウィトゲンシュタインはそこに命題の秘密を見た。模型が事故を語れるのはなぜか。『論理哲学論考』の前半を、ドイツ語原文から。
「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」——言語の限界
20世紀哲学でもっとも引かれる一文、『論考』命題7。だがそれは神秘趣味ではなく、像の理論から出てくる結論だ。何が語れ、何が「示される」だけなのか。
言語ゲームと「意味とは使用である」
「石板!」は名前なのか、命令なのか。建築現場のことばから始めて、ウィトゲンシュタインは「語は物の名だ」という素朴な像を崩す。『哲学探究』前半を、ドイツ語原文から。
家族的類似——「考えるな、見よ」
「ゲーム」に共通する本質は何か。ウィトゲンシュタインは答えず、命じる——見よ、と。すべてを貫く一本の糸はなく、重なり合う繊維があるだけだ。カテゴリー観を変えた『探究』§65〜71。
規則に従うこと、そして私的言語
「+2」で数列を続ける。どんな続け方も、解釈しだいで規則に「合致」させられる。では規則を支えているのは何か。『哲学探究』後半の難所を、ドイツ語原文から。